出 25:1~9主はモーセに告げて仰せられた。わたしに奉納物をささげるように、イスラエル人に告げよ。すべて、心から進んでささげる人から、わたしへの奉納物を受け取らなければならない。(1~2)
71番 みなささげまつり(新50番)多くの人は、目に見える答えを望みます。しかし、聖書は、契約の中にいることが最高の答えであり、祝福であると言われます。荒野の道を歩いて行くイスラエルの民に最も必要なのは、福音の中にある実際的な力でした。このことのために、神様はイスラエルの民に幕屋を作って時代を回復する力を受けるように言われました。現実の荒野を歩いて行く私が回復することは何でしょうか。
400年の間、エジプトで奴隷生活をして受けたイスラエル民の傷と奴隷根性は、サタンが持って遊ぶのに良い遊び場でした。神様は、荒野の道を行くイスラエルの民に幕屋を作って祈り、いやされるように言われました。幕屋で神様が私に与えられた生涯の契約を成就する礼拝の祝福と栄光を回復しなさいということです。
神の子どもの人生は、今日を心配しながら生きていく人生ではありません。永遠に残る未来をおいて献身して生きていく契約が込められた人生です。神の子どもは、集まって礼拝し、聖霊の働きと神様のまことの力を回復しなければなりません。このことのために、神様は契約の箱を入れる神殿を建てる未来をイスラエルに説明されたのです。
神様は幕屋を作られ、三つの祭りの祝福を説明され、契約の箱を通して、永遠のいのちの糧、完全な保護、永遠の背景を見せてくださいました。イスラエルが忘れないように証拠も残されました。荒野の道の中で最も必要な聖霊の力を受ける幕屋を備えられたのです。神様は幕屋中心に生きるとき、必ず契約を成就されます。
契約の祈り荒野の道のような現実の中で、神様の契約を握って礼拝の栄光を見せる証人となりますように。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
インマヌエル教会聖日1部|2020.4.5
わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」
聖書通読_Ⅱ列 5〜6章あるクリスチャンが夢を見ました。
その夢には、彼が歩んできた人生の裏街道が広がっていました。
砂漠の砂の上には、彼が歩んできた足跡が鮮明についていました。
生まれてから始まった彼の足跡は最初は一人の足跡でした。
ところが、15歳の頃から、彼の足跡の横に別の足跡が現れました。
その時、彼は生まれ変わって、イエス様が彼の横で彼とともに歩んでおられたのです。
しかし、数年後には一人の足跡だけでした。
彼はその時期をじっと考えてみました。
そのときは、彼があまりにも苦しい時期でした。
「主よ、私が最も苦しかったときに、
どこにおられたのですか。」
するとイエス様は
「その足跡はあなたの足跡ではなく、
わたしの足跡だ。
わたしはあなたを背負って行った。」
と言われました。