イザ 6:13そこにはなお、十分の一が残るが、それもまた、焼き払われる。テレビンの木や樫の木が切り倒されるときのように。しかし、その中に切り株がある。聖なるすえこそ、その切り株。
466番 いずこにありても(新408番)イザヤ6章13節は、もう一つの重要な意味を持っています。孤独の中での証人である「残れる者」という意味が入っています。この孤独は、人がいないためにくる寂しさではありません。孤独の中で残れる者に与えられた神様の答えは何でしょうか。
木が切り倒されても切り株は残るでしょう。切り株は、残りのものであり、残るものであり、残れるものです。その切り株が聖なるすえです。神様はそれを説明するために、御座の祝福を見せてくださいました。御使いを動員されました。これは、私たちはここにいても、神様は御座の祝福によって働いておられるということです。
神様は残りの者を単純な証人ではなく、サミットに立たせようとしておられます。神様は旅人を特別に愛されました。申10:18、詩119:54神様は残りの者、旅人、散らされた者を通して働かれました。Ⅰペテ1:1、使11:19
悪者に会うときがあります。彼らは私たちが助けるべきいやしの対象です。間違ったことにあうときがあります。このとき福音が必要です。私たちが苦しみの中でしばらく留まるときもあるでしょう。それによって、神様の大きなみこころが成し遂げられます。
契約の祈り孤独の中で契約を回復し、サミットに立ちますように。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
新しい家族および現場働き人修練会2講 (3) | 2020.6.16
しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
聖書通読_出 9章一人で、一日中、十日間いても大丈夫です。
僧侶は、ドアを閉めて入り、
数日後には苦しいと言います。
しかし、祈りを知っている人は、
全然苦しくありません。
驚くべき働きが起きるのです。
参考にすべきことがあります。
たくさん話すより沈黙に力があります。
たくさん話すとよいと思いますが、
そうではありません。
エネルギーは、祈りの中で、黙想の中で出ます。
いやしは黙想の中で出ます。
未信者は、
素直に表現しなさいという程度で教えます。
正しいです。しかし、それは非常に低い水準です。
深い神様の恵みの中にいるのが最高の答えです。