マタ 4:19イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」
新500番 なみさかまく世の海(旧258番 なみさかまく世の海)イエス様は弟子を伝道者にしてあげると言われました。この時代を生きていく神の子どもは伝道者です。そのアイデンティティを持って、聖書と教会史に記録された伝道者のように、聖書的で福音的であり、確実な伝道コンテンツを作らなければなりません。それとともに、タラッパンでは、伝道者の生活62を個人化しなければなりません。どのように、このコンテンツを握って味わうべきでしょうか。
イエス様は問題を解決しなさいとは言われませんでした。その姿そのまま、わたしのところに来なさいと言われました。マタ 11:28~30また、専門性を持ちなさいと言われず、ついて来なさいと言われました。マタ 4:19多くの仕事をさせるためでなく、ともにいるためです。マコ 3:13~15このときに与えられる力が、霊的力です。この事実を信じる者は誰であっても、神様は天と地のすべての権威を持って御座の祝福でともにいて、力を与えてくださいます。マタ 28:20、マコ 16:19~20、使 1:8
誰もできないことをすべきです。Nobodyすると必ずEverybodyに変わります。何もないことから始めて、すべてを生かすべきです。Nothing → Everythingまた、正しい始まりができてこそ、正しい働きができます。このとき、必ず点検しなければならないことがあります。正しい目標です。
神の子どもは世の中に出て行く前に、あらかじめシステムを作らなければなりません。そして、あらかじめ体験して、あらかじめ伝達しなければなりません。
契約の祈り伝道コンテンツをあらかじめ作って体験して伝達することができますように。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
産業宣教メッセージ | 2020.9.12
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
聖書通読_ピリ3-4章カトリックとキリスト教が根本的に違っているのは救いです。
カトリックは救いをそんなに簡単に受けることではないと話します。
「私はイエスを信じて救われた」というこの話を、まだカトリックでは理解できません。
カトリックは、何かをたくさん積まなければならないと話します。
神様を信じない人々が聞けば、その話が正しいと思えます。
しかし、原罪は努力で解決できることではありません。
この点がとても重要です。
原罪はキリストを信じる瞬間に終わるのです。
カトリックでは、まだこの話を理解できません。
「どのようにすでに救われるのか」と話します。
これを宗教と言います。
こういう恐ろしい教理を、今、神父が知らずにいます。
しかし、イエス・キリストによって、
すべての暗やみの権威は終わったのです。