レビ 27:26~27しかし、家畜の初子は、主のものである。初子として生まれたのであるから、だれもこれを聖別してはならない。牛であっても、羊であっても、それは主のものである。もしそれが汚れた家畜のものであれば、評価にしたがって、人はそれを贖うとき、その五分の一を加える。しかし、買い戻されないなら、評価にしたがって、売られる。
新384番 わが歩む道に(旧434番 すくいぬしイエスと)神様は荒野で得た家畜の初子をささげなさいと言われます。すなわち、大切で重要な財産を出しなさいと言われたのです。神様がくださったものと私が持っているものを比べてみて、もったいない気がするなら、出エジプトの価値とカナンの地という未来を知らない人です。神様はこの家畜の初子をささげなさいと命じられた荒野で、最も重要な祝福を注いでくださいました。すでに備えられた祝福を見つけるためには、私はどのような心を持つべきでしょうか。
神様は今、私の人生で最優先していることは何であり、誰であるかを正確にしなさいと言われます。人生の本当の力は持っている経済から出てくるのではありません。むしろ中心と関心を物質ではなく、エジプトの傷や根性をいやすことに集中するのが重要です。欲を持っているから光の経済を自分のものにできるのではありません。私の人生の中で最も大切なものを世の中ではなく、神様にささげることはまことの答えの始まりです。
一日に10分でも私は誰なのかを刻印しなければなりません。今まで受けた救いの祝福と、神様がともにおられた人生の旅程を確認して、その神様の働きを次世代に伝えて刻印させなければなりません。その刻印を変える答えが荒野で始まりました。私の人生の荒野は、ヨルダンを分け、エリコを崩し、太陽と月を止める空前絶後の答えが与えられるための祝福の発火点です。
今から神様がなかった私の時間の中で刻印されたすべての傷や根性がいやされるように祈らなければなりません。このとき、私の人生の本当の優先順位が変わって、神の子どもの身分と権威と契約が刻印され始めます。そのような人は、世の中を生かし変化させる答えを受けることができます。
契約の祈り神様、私の最も良いことが神様と福音、契約、これから作っていく明日でありますように。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
インマヌエル教会聖日1部 | 2020.9.27
こういうわけで、私たちを、キリストのしもべ、また神の奥義の管理者だと考えなさい。
聖書通読_Ⅰコリ7-8章漢字の「着」は、「つく。あるいは衣服などを身につける」という意味を持っています。
愛着理論の代表的な心理学者であるジョン・ボウルビィEdward John Mostyn Bowlby, 1907~1990は、「一人の個人が自分に最も近い人に対して感じる強い感情的関係」を愛着と定義しました。
ところが、執着は愛と関心を受けることができなかったために生じた「傷ついた愛着」でもあります。
サタンは私たちの愛着が傷つくように、創世記3章の問題を持ってやってきました。
私たちの愛着が揺れるように私、物質、成功という道具を使います。
強い感情的霊的関係を父なる神様と持つべきなのに、むしろサタンは、物質の成功に執着するように誘惑します。
人には荒野という人生の中で執着ではなく、神様との愛着関係を回復する黙想の時間が必ず必要です。
そのためにイエス様が十字架を背負ってくださいました。