レビ 27:28~34しかし、人であっても、家畜であっても、自分の所有の畑であっても、人が自分の持っているすべてのもののうち主のために絶滅すべき聖絶のものは何でも、それを売ることはできない。また買い戻すこともできない。すべて聖絶のものは最も聖なるものであり、主のものである。(30)
新384番 主イェスはわが君(旧352番 主イエスはわが君)レビ記を締めくくる27章では、私たちがささげた献金や財物は聖なるものと区別される主のものであると言います。荒野の道を歩んで行くイスラエルの民に、神様は献金と財物、そして十分の一献金を教え続けておられます。今は荒野の道を通っているのですが、カナンの地で受ける祝福を通して全世界を生かすほどの答えを受ける人として、あらかじめ私たちを訓練されるのです。訓練を通して、主のものである十分の一献金とともに私たちが回復しなければならないことは、はたして何でしょうか。
レビ人は24時幕屋を守らなければなりません。それゆえ、所有する土地がありません。夜もともしびを灯して光を照らさなければなりません。誰でも、いつでも訪ねてきて、礼拝と霊的力を回復して、福音に出会うことができるように準備しなければなりません。このことに集中するように手伝う祝福が十分の一献金です。人間が持つべき最高の力が霊的力であることを知るなら、十分の一献金は負担ではなく、当然ささげるべき祝福です。
申命記26章には、レビ人と在留異国人、みなしごとやもめに十分の一を与えるように言います。申 26:12伝道者、異邦人、家庭のない次世代と何の力と背景のないやもめが力を得るようにしなさいということです。このように、十分の一献金は、伝道と宣教のためのまことの答えのシステムです。そして、十分の一献金は、神様が私たちを祝福する重要な理由となります。小さい欲が大きい答えを妨げないようにすればよいです。
福音は神様の力を味わう始まりであり、終わりです。福音を味わう中で伝道と宣教を始める十分の一献金を回復し、未来経済を征服する器をあらかじめ備えなければなりません。このような人に十分の一献金は、神様が与えられた最高の光の経済システムになるでしょう。
契約の祈り目の前に見える小さなことを超えて、礼拝と十分の一献金を回復して世の中を生かすまことの力を回復しますように。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
インマヌエル教会聖日2部 | 2020.9.27
こういうわけで、私たちを、キリストのしもべ、また神の奥義の管理者だと考えなさい。
聖書通読_Ⅰコリ9-10章薬学部を出て、一生薬局を営んだ勧士さんがいました。
彼女は契約の流れに従って、重要な瞬間ごとに献金をしました。
世界福音化のために立てられるRUTCをおいて献身した第1号献金の主人公でもあります。
勧士さんは夫を天国に感謝のうちに送り、またRUTCに献金をささげました。
そして一生かけて作った薬局を片付けたときには、世界237か国を生かすことに使ってほしいと237センター建築に献金しました。
この方は、単にお金を献金したのではありません。
神様の前でまことの価値を発見して、自分の人生をささげ、世界福音化の旅程をともに歩んだのです。
私の人生で最優先していることと優先順位は何ですか。
この二つをどこに置いていますか。
神様のことが刻印された人は、優先順位が異なります。
それゆえ、未来も異なるのです。