民 11:31~35キブロテ・ハタアワから、民はハツェロテに進み、ハツェロテにとどまった。 (35)
新292番 主イエスなしには(旧415番 主イエスなしには)不信仰とは肉的なもののために霊的祝福を逃すことです。反対に信仰とは霊的祝福のために肉的なものを投資して犠牲にすることです。神様がイスラエルの民に40年間荒野生活を送るようにされた理由は、彼らの不信仰体質をいやすためでした。今日私たちの不信仰体質もいやされることができます。はたして神様は、そのために何を命じられたのでしょうか。
欲望の墓を象徴するキブロテ・ハタアワは、人間が神の子どもになれないようにするサタンの方法です。絶えずサタンは「神のようになるネフィリム」「私たちの名をあげて成功しようバベルの塔」で人間をだまします。それだけでなく、偶像崇拝、麻薬などに執着させ、未信者の6つの状態に陥るようにします。神様の御怒りは罰を与えるのが目的ではなく、欲望の墓から抜け出しなさいということです。
私たちは不信仰をいやし、霊的な力を回復するハツェロテにとどまらなければなりません。もっと重要なのは、不信仰が次世代に伝わらないように必ず三つのことを教えなければなりません。すべての現場で神様の光を放つ福音化、天と地のいっさいの権威を持っておられる神の国を味わう御座化、時代を生かす霊的指導者になる時代サミット化です。
荒野は機会です。福音の外にいればすべてのことが失敗の原因となりますが、福音の中にいればわざわいも祝福になって勝利します。それほど身分が重要なのです。
契約の祈り神様、教会に働くサタンの勢力を縛り上げて、私たちのすべての問題を契約によって解決してください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
インマヌエル教会聖日1部 | 2020.11.22
私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。
聖書通読_Ⅰサム16~17章それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。
私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。
それは、私には、キリストを得、また、
キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです。
ピリピ人への手紙 3章8〜9節
どうか今、主があの日に約束されたこの山地を私に与えてください。
あの日、あなたが聞いたように、そこにはアナク人がおり、城壁のある大きな町々があったのです。
主が私とともにいてくだされば、主が約束されたように、私は彼らを追い払うことができましょう。
ヨシュア記 14章12節