人は誰でも自分の経験に基づいて状況を把握して、相手を理解します。以前の経験と以前の知識が役立つのですが、私の計画と主張が神様のみこころと計画より先走るなら、神様と通じることは難しいです。どのようにすれば、神様と通じる祈りをささげられるのでしょうか。
祈りは神様の絶対計画と、その計画が成り立つ時刻表を質問することです。日曜礼拝と毎日の黙想時間を通して、神様が必要とされることが何かを引き続き求めていかなければなりません。ハンナも他の人にいる息子がなぜ私にはいないかと愚痴って訴えた時がありました。この家、あの家の息子は多いけれど、神様の力を知って国を生かすナジル人がいないということを知るようになった後に、ハンナの祈りは完全に変わりました。
神様の時代的な必要と絶対計画を見つけたハンナに、神様はサムエルを与えられました。サムエルは幼児の時から、母親のハンナと離れて神殿で過ごし、幼い時から契約の箱のそばで寝ていて、神様の御声を聞きました。人間的な観点で見れば、簡単なことではなく、常識外れの無理な決定のようですが、神様はハンナとサムエルを通して国と時代を生かされました。
神様の絶対計画を知っている私たちをこの時代のハンナとサムエルとして呼ばれたことを覚えなければなりません。神様は今でも教会の強固な柱になって、牧師の支えになる祈りの人を探しておられます。
契約の祈り神様が必要されることをすることができますように。その時刻表に献身する祈りの人になりますように。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
産業宣教メッセージ | 2021.2.6
05あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」
06 そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。
問題が目の前に積まれているのに、
知らないふりをすることが、
本当に福音を味わう姿でしょうか。
イエス・キリストがすべての問題を
解決されたということは、
悩んではならないという意味ではありません。
問題と苦しみを前に置いて
「神様のみこころは何ですか」と尋ねるのと
「神様、いったい私に
なぜこのようにされるのですか」
と恨んで不満を言うのは、
まったく違う霊的状態です。
富むようにも貧しいようにも、
高くすることも低くすることも、
生かすことも殺すこともなさる神様が、
そのようにされた理由を見つければ良いのです。