24AUGUST・火

私をサミットの座に送りなさい

出 4:24さて、途中、一夜を明かす場所でのことだった。主はモーセに会われ、彼を殺そうとされた。

新368番 主イェスよ、われに恵みを(旧486番 主イエスよ、われに恵みを)

大部分の人は自分の力で生きています。しかし、自分の考えが足かせになることが多く、限界にぶつかったりします。神様の愚かさは人よりも賢く、神様の弱さは人よりも強いことを覚えなければなりません。どのように神様の御手に捕らえられて生きることができるのでしょうか。

1. 私を生かす唯一の道

意地と根性、情熱を持って貧困と逆境に打ち勝った偉人たちの話に良く接します。そのような姿勢で生きるのが基準となって、自分にムチ打ったり他人に勧めたりもします。神の子どもは、世の中の基準を超えた神様の力を受けなければなりません。成功するために挑戦するのではなく、神様のみこころを成し遂げるために挑戦して更新するのです。心とたましいにみことば刻まれるときに、世の中と環境を超える目が開かれて力を受けることができます。

2. 飢え渇いた人が訪ねて来るプラットフォーム

霊的サミットは、毎日、私の考え、主張、計画を下ろして、神様を見上げる時間を持ちます。霊的サミットの座にいるなら、たましいが荒れ果てて心が病み、生活に疲れた人が訪ねてきます。飢え渇いた人が井戸を探し求めるのと同じ原理です。霊的プラットフォームは、神様に会う道を進む駅や空港のような役割を果たすのです。

神様の願いはすべての人が福音を聞いて救われることです。このプラットフォームに時空を超越する御座の祝福が臨むしかありません。霊的サミットを通して、神様は全世界のすべての人と種族に福音を伝え、たましいと心と考えと体が病んでいる人を福音でいやされるでしょう。

契約の祈り神様、神様の御声を聞く日になりますように。私をサミットの座に送る恵みを与えてください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。

核心訓練メッセージ | 2021.2.27


聖句暗唱_イザ 64:6

私たちはみな、汚れた者のようになり、私たちの義はみな、不潔な着物のようです。私たちはみな、木の葉のように枯れ、私たちの咎は風のように私たちを吹き上げます。

聖書通読_ヨシ14-16章

私を下ろせば
私が生かされます

神様のみことばを聞いても、
私の生活に適用できないという人が多いです。
なぜでしょうか。

神様のみことばが良くないからではなく、
レベルが低く価値ない私が私を握っているからです。
私の思い煩いが私の考えを握って、
目に見えることだけに集中する私が
私の足かせになるからです。

それなら、どうやって私を下ろすのでしょうか。

世の中は瞑想や修練を通して
自分を空ける境地に達しなさいと言いますが、
それはサタンが仕掛けた高度な落とし穴です。
神様のみことばに捕らえられてこそ、
私を下ろすことができ、
そうなるときにはじめて私が生かされるのです。