申 3:18~22彼らを恐れてはならない。あなたがたのために戦われるのはあなたがたの神、主であるからだ 。(22)
新86番 わが依り頼むイェス(旧86番 たよりまつるイエスは)神様が私たちに苦しい荒野の旅程を許された理由は、契約を刻印させて幕屋、教会の祝福をくださるためでした。荒野で刻印されたことは必ず次世代に伝えられて、時代を動かす答えになります。神様はどのような答えを準備されたのでしょうか。
危機と苦難は身分、権威を味わい、御座の祝福を体験する機会です。すなわち、主が私たちの代わりに戦って暗やみを砕かれます。このとき、どこでも生き残る10の奥義、絶対に変わらない10の土台、どこでも勝利できる5つの確信、すべてを静かに変える9つの流れ、あらかじめ見る62の一生の答え、教会現場を味わうようになります。
聖書を見ると、神様はバシャンの王を打たれ、モーセにはヨルダン川を越えないようにされました。これらのことを通して、イスラエルを導く方は、ただ主であることを刻印されたのです。また、神様は絶対答えを準備されました。それは、全世界237か国を生かして、そこにいる次世代をいやして霊的サミットにすることです。
世の中は自分の利益のために戦争をします。しかし、神の子どもは違います。私たちの戦争は、あらかじめ勝った戦争、世の中と人を生かす霊的戦争であることを覚えなければなりません。
契約の祈り神様、私たちを導かれる方はただ主であることを告白します。身分と権威を味わって、御座の祝福が刻印されますように。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。
インマヌエル教会聖日2部 | 2021.2.28
この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」
聖書通読_ヨシ20-24章私は夢を見ながら「クリスチャン」だけに重荷があるのかを知ることができませんでした。
「滅びの町」にいるとき「クリスチャン」は自分の重荷に対しては考えていませんでした。しかし、今、彼は必死に戦う戦場の戦士のように、自分の重荷を脱ぎ捨てるために必死になっていました。
私は夢の中で「クリスチャン」が壁が両方に長く伸びている道に従って、重荷を負ったまま、無我夢中で走る姿を見ました。その壁は「救い」という名の壁でした。彼はその道を走って行って丘のふもとで開かれた墓を見ました。そして、少し登ってみると丘の上に十字架が刺さっていました。「クリスチャン」はその場に立ちました。彼は十字架の影を踏みました。すると驚くことに彼を苦しめていた重荷が肩から落ちたのです。丘の下に落ちて行った重荷は墓の中に入って見えなくなりました。
「クリスチャン」は驚きました。その十字架を見ただけで何もしていないのに重荷から解放されたのです。彼は自分の目の前で起こった光景を直接目撃しましたが、とうてい信じることはできませんでした。彼は驚きのあまり、呆然と立っていました。しかし、たしかに「クリスチャン」の背中には重荷はありませんでした。そして、彼は願い求めていたように、罪から抜け出したのです。
ジョン・バニヤン「天路歴程」より