申 4:1~8私があなたがたに命じることばに、つけ加えてはならない。また、減らしてはならない。私があなたがたに命じる、あなたがたの神、主の命令を、守らなければならない。
新187番 はとのごと降る(旧171番 はとのごと降る)神様がイスラエルの民を40年間荒野に置かれた理由があります。長年、エジプトの奴隷として生きて奴隷体質が刻印されていたイスラエルの民が、ただ福音を通して解放されて、確実なみことばの証拠を握ることを願われたのでした。同じように、私たちは成熟した信仰の姿勢でみことばの証拠を握らなければなりません。どのような証拠でしょうか。
信仰を植えれば信仰が育ち、不信仰を植えれば不信仰が育ちます。同じ原理で、答えは刻印された通りに来ます。したがって、私たちは思い煩わずに、サタンとわざわい、地獄の背景から私たちを救ってくださった神様の救いの働きを刻印しなければなりません。
今まで私たちは、神様の保護の中でみことばを体験しました。体験したみことばを証拠として握って根を下ろさなければなりません。もっと重要なことは、未来に対する神様のみことばを体質化させることです。私たちには各自、神様の時刻表があります。その日のために契約を私のこととし、人生の塞がっている部分を崩さなければなりません。
私たちは危機に置かれたり、人との葛藤を経験することもあります。そのときは、揺れずにただ主なる神様だけにすがって正確な契約を握れば良いのです。神様は100年の答えを与えてくださるでしょう。
契約の祈り神様、みことばをつけ加えたり減らしたりせずにそのまま信じて従順にして、救いと契約のみことばが刻印、根、体質となりますように。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。
インマヌエル教会聖日1部 | 2021.3.7
この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」
聖書通読_Ⅰサム16-17章仕事が順調で、
誰が見ても有益なことが手に入るなら
私たちは「神様が私に答えてくださった」と
あかしして喜びます。
反面、問題や危機が来ると
「神様はなぜ私に答えられないのか」と
神様を恨んで落胆します。
コリント人への手紙第一3章では、
この信仰は幼子の信仰のような成熟していない
「肉に属する人」だと記されています。
しかし、ヨブを見ましょう。
彼は全財産と人を失って、
病を罹った最悪の状態でもこう告白します。
「神様のみこころは一つである。
だれがそれを翻すことができようか。」
ヨブの告白はサタンをひざまずかせるほどでした。
信仰の座標で見るとき、私は幼子に近いでしょうか。
そうなければ、ヨブに近いでしょうか。
私の信仰を点検することを通して、
不信仰から回復して契約を再び握る1日になるように願います。