民 14:1~10イスラエル人はみな、モーセとアロンにつぶやき、全会衆は彼らに言った。「私たちはエジプトの地で死んでいたらよかったのに。できれば、この荒野で死んだほうがましだ。(2)
新270番 救い主の愛と(旧214番 すくいぬしの愛と)問題や危機に会ったとき「なぜ私にこのような問題がくるのだろう。なぜ私だけが難しいのだろう」と思いがちです。他の人はみな良く生きているようなのですが、いつも私はできることがなく、私だけ苦しみを受けるように感じられることもあります。今日見た本文の中のイスラエルの民が、ちょうどそうでした。神様はなぜ荒野40年を行くようにされたのでしょうか。
神様は約束のとおり、かもいと門柱に羊の血を塗った人を生かし、奴隷身分を完ぺきに清算してくださいました。死ぬまでして愛して救ってくださって「この程度したので、もうあなたの力で険しい世の中を解決しなさい、我慢して耐えなさい」と言われる神様ではありません。神様はどんな状況でも救いの奥義を覚えて生活で味わうことを願っておられます。もう暗やみの勢力に倒されることがなく、天国背景と聖霊の力がともにある身分であることを、問題と苦しみの中で骨の髄まで私のこととして確認することを願っておられます。
荒野の旅程には紅海が含まれています。紅海を渡ってこそ、旅程が終わります。できないようで、良くなりそうでない今、私の前の紅海を神様は必ず渡らせてくださるでしょう。この証拠と体験を世の中の人が見て、次世代が分かるように、記念碑として建てようとされているのです。私たちは全世界のすべての国に神様が生きておられることをあかしする神様の人です。
三位一体の神様に集中する人は、どんな環境や状況でも、落胆したり、あせったりしないで、神様のみことばと力を信じて挑戦して待つことができます。これが荒野を生きる私たちに必要な姿勢です。
契約の祈り神様、今、直面しているすべての状況と条件が、神様に集中できる最も良い条件になりますように。前にも後もない答えと未来を見せてください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
核心訓練メッセージ| 2021.4.24
ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
聖書通読_イザ 7:1-2日程を間違えて公演会場に行って帰ってきたとか。
欲しい物を買いに行って、
すでにすべて売れてしまって、
徒労になったとかという経験が
一回ぐらいはあるでしょう。
無駄なことだったけれど、私の心を慰めようと、
自己満足できるように思い込もうという意味でなく、
その日、そこに行った理由があるのです。
少し違う表現をするなら、
他の人の思いであっても、自分の意志であっても、
失敗であっても、神様が私をその日、
そこにいるようにされた理由があります。
「私はなぜうまくいかないのだろうか」
というのではなく、
「神様は何を見ることを願われるのだろうか」
と質問を変えましょう。
すぐにでも、しばらく後でも、
無駄ではなかったことを悟るでしょう。