士 7:5~8そこで主はギデオンに仰せられた。「手で水をなめた三百人で、わたしはあなたがたを救い、ミデヤン人をあなたの手に渡す。残りの民はみな、それぞれ自分の家に帰らせよ。」(7)
新70番 主に逃がれよ(旧79番 主に逃がれよ)自慢できるほどの背景や成し遂げたこともないのに、自分に何ができるかと落胆するときがあります。助ける人も能力もない自分を見ると力が抜けたりもします。過去も現在もうまくいかなかったので、今後もうまくいくはずがないと思います。このようなとき、私たちは何を握るべきでしょうか。
神様は何の背景もない奴隷を通して働かれ、捕虜になった力のない人を用いられます。今日の本文に出てくるギデオンも伐採者でした。安楽な衣食住、豊かな資産と地位と名誉、人気を得ても、それでは心の底にある虚しさと根源的な不安を解消することはできません。神様は時代ごとに世の背景ではなく、神様の力を知る弱い者を通して救いの働きを成し遂げられます。
奴隷になったヨセフを通して、全世界とすべての民族に神様の力を見せられ、養子縁組されたモーセを呼び、奴隷として抑圧されていたイスラエルをエジプトから脱出させました。まるで孤児のように両親と離れたサムエルを通して、神様は時代の流れを変えられ、羊飼いであったダビデを呼んで国を統治する王として立てられましたが、神様は神様のことで刻印、根、体質になった人を用いられます。
神様が造られた私を見つけるとき、この答えが来て、神様から与えられた私のことを見つけるとき、神様の働きが始まります。神様から与えられた私の現場が見えるとき、証人として立つようになります。
契約の祈り神様、神の霊が宿る恵みを与えてください。私、私のこと、私の現場を通して神様に用いられますように。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
インマヌエル教会Remnant礼拝 | 2021.10.10
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
聖書通読_使 22:21-22