創 1:3、イザ 60:1~2、ピリ 2:9神は仰せられた。「光があれ。」すると光があった。(創1:3)
新250番 十字架の血によりて(旧182番 十字架の血によりて)多くの仕事をして、上手にすることよりもっと重要なことがあります。神様がすでに私に与えてくださったことを悟ることと、神様が願われるその働きをすることです。どのように、それを見つけることができるのでしょうか。
1日に1度、1週に1度深い時間を持つことによって、多くのことが変わります。みことばを黙想して、神様が願われる考えをして、神様が願われる祈りをささげる時間に脳が目覚めます。神様に集中するとき、たましいと脳と考えとからだが力を得て生き返ります。生きていて力あるみことばによって働かれる父なる神様、すべての罪とのろいの勢力を十字架で完全に打ちこわされたイエス・キリスト、今、神の子どもの心の中に内住され、力によって働かれる聖霊の神様を毎日味わうとき、私たちの生活は完全に新しくなります。この内容を味わう時間がまさにサミットタイムです。
サミットタイムを持つ人がサミットの答えを味わいます。この時間を味わえなければ、福音と伝道とは離れたまま生きて、タラントを発見することも難しいです。サミットタイムを味わうと、1日24時間神様と通じるようになり、私の力では決してできない答えがついてくるようになります。福音を悟って伝道を理解すると、神様から与えられたタラントが見え、神様が隠された空前絶後の重要なことを見るようになります。神様にすでに受けたことをあらかじめ見て、持って、味わう答えを今日から味わうことができます。
契約の祈り神様、神様のことを知らせてください。何も心配することがなく、何も問題にならない霊的力を受ける時間を味わいますように。イエス・キリストの御名によってお祈りします。 アーメン
核心訓練メッセージ | 2021.10.16
そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
聖書通読_使 22:3-4誰かが私のところに来て
「今のあなたの考えは間違っている」と言うなら、
とりあえず、気分は悪いでしょう。
否定したくて、私にそんな言い方をするあなたは
何がそんなに偉いのかと、
矢を相手に向けるのが簡単な対応かもしれません。
自分を防御するのは当然の反応なのですが、
「今の私の考えの枠は正しいのか」
という疑問は持ってみる価値があります。
私が問題に思うのが、
実は本質的な問題でないならどうしますか。
たとえ、正しいことだけを言っても、
それが神様のみこころと合わないならどうしますか。
私の考え、私の意見、私の枠が
ひっくり返るようなできごとに出会うこともあります。
率直に、その時間は楽なわけではありません。
痛い思いをするかもしれませんが、
神様の絶対目標と計画に進入する区間に
立っていること自体が恵みであり祝福です。