ダビデが体験した苦難は、神様が許されたことです。神様から与えられる苦難は、なぜ苦しみが来たのかという理由が発見できるという点で、サタンが与えたこととは違います。ダビデは苦難を通して契約をのがしたイスラエルの霊的状態を悟り、自分の使命を発見しました。私たちもダビデのように、苦難を祝福と更新の機会だと思って、信仰生活を回復しなければなりません。どのようにすれば良いのでしょうか。
私たちは現実だけ見て、あせって判断して、契約より人のことばに振り回されるときが多くあります。苦しいことがあれば、私の力で解決するために骨を折って、じたばたしてしまいます。しかし、ダビデはサウル王が自分をねたましく思って槍を投げ、しつこく刺客を送る極限の苦しみが来たときも、いちいち対応せずに、神様が働かれることを味わいました。その背景には、神様に対しての絶対的な信頼とヨナタンとの厚い友情がありました。
今しているすべてのことと出会いは、未来と直結すると考えて、今日を味わわなければなりません。もし、今、誰かを嫌って恨んでいるならば、未来にも同じようにそのようになる可能性が大きいです。私たちが完全に24集中して努力して仕事をしなければならないことは、ただひとつ、神様が最も願われる神殿の準備であることを忘れてはなりません。
私たちの人生の主人は主なる神様おひとりです。主が私たちの羊飼いなので、これ以上、必要なことはなく、乏しいことがありません。
契約の祈り神様、私の永遠の主人である主なる神様をほめたたえます。私の人生が、神様が最も願われる神殿準備に用いられますように。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
インマヌエル教会聖日2部 | 2021.10.24
ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。
聖書通読_使 23:21-22世の中に満ちているネフィリム文化を崩して
神殿文化のために生きるという信仰、
そのために喜んで、苦難を祝福と思って
霊的戦いに参加することが
神の子どもの本物の実力です。