Ⅰサム 1:9~11そして誓願を立てて言った。「万軍の主よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますならば、私はその子の一生を主におささげします。そして、その子の頭に、かみそりを当てません。」 (11)
新615番 偉大な主に(旧 なし)今日も多くの考えをするのですが、私の考えを神様の考えに変えなければなりません。特に子どもを持つ父母は、神様のことでセッティングされなければなりません。それが私自身と家庭のすべてを生かす道です。どうすれば神様のことでセッティングできるのでしょうか。
すべての人は欲望を持っています。もっと持ちたがり、もっと良いものを尋ねも求め、他の人のものと比較して、それまでも欲しがったりもします。すべてを私中心で考えて、内面の欠乏と過剰の間を行き来し、ひとりで悩んだり、他の人と葛藤したりもします。私たちはひとりでいるときに神様との疎通ができ、考えと心、精神と肉体、現場とつながって一つになる祈りの奥義がなければなりません。神様から与えられる霊的な力を受ければ、神様のことが私の中にセッティングされ始めます。
神のかたちとして造られた完全な祝福を味わう父母の後ろ姿を見て、神様が生きておられることを確認し、父母が味わう福音が知りたくてついて行くようになります。父母が先に神様のことでセッティングされれば、私たちの家庭に神様が準備された空前絶後の祝福を見つけるようになります。家庭礼拝とフォーラムを通して、神様のことを見つける職業産業・学業と、教会の職分の中で神様が与えられた使命を分かちあって伝える霊的な疎通が成し遂げられなければなりません。その霊的雰囲気の中で育ったRemnantは、自然かつ当然に神様のことで考えて選択し、現場を変化させるサミットとして育つようになります。
契約の祈り神様、大切なRemnantを任せてくださり感謝します。モーセ、ダビデ、サムエルのような人物を育てる祈りの奥義を持つ父母と教師になりますように。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。
胎・幼児父母オンライン修練会1講 | 2021.10.30
しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。
聖書通読_使 24:3-4『若者は朝露のように』の著者ユージン・ピーターソンEugene H. Petersonは、子どもを養育するとき、何かを強要せずに自律的に育てるのが原則だと言います。「あれはだめ、それはやってはいけない、こう行動しなさい!」という訓育を無条件に福音的でないと評価することはできません。一方で、「あなたのやりたい通りにしなさい」というのも、結局は、私中心を強調することになるかもしれません。
福音は生かすことだと数え切れないほど聞いて、イエス・キリストがすべてを終わらせたので、何も問題にはならないという信仰のことばもよく口にします。しかし、他の人でない自分の子どもに接するときは、そのことばとは完全に反対の行動をしたりもします。
実際に生活で見せるほど強力な教えはありません。口では「イエス・キリスト、すべての問題の解決者」と言いますが、現実の苦しみの前では、思い煩う母親の姿を見た子どもはどう反応するでしょうか。しつこく聞くことばより、母親の思い煩いの表情、心配してつくため息に、もっと大きな影響を受けることがあります。
イエス・キリストが小言のように聞こえても大丈夫でしょうか。母親と父親が実際に福音を味わってこそ、子どもも見て学ぶようになります。親個人が福音で生かされれば、子どもたちにもその光が照らされるようになります。